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軽井沢の歴史-37

 外国人避暑客が増加するにつれて、消えたようになっていた旧軽井沢に活気がもどってきました。今までの旅龍であった亀屋はMAMPE−HOTEL、旧本陣はKARUINAWA HOTELと看板をかかげ、江戸屋はビーフ・ポーク・マットン・チキンなどの牛肉店、その隣りに、魚屋(フレッシュフィッシュ)レース屋、仕立屋(ドレスメーカー)と靴屋(シューズメーカー)などが軒を連らねた。当時の写真をみると古い屋並みの街にコーモリをさしたロングスヵートの婦人や帽子に背広の紳士たちがショッピングに歩く変わった風景が写し出されています。

 これらの商店や旅館は、内・外国人の避暑生活全般にわたって充たされるだけの種類がみられ、日本式の迅速・丁寧・配達といったサービスが行われていました。しかも、東京市本郷区真砂町から出張してきた大河内婦人洋服店を除いて、ほとんどが地元の人々の経営によるものであり、社会の変化に適応する動きが速かったことが伺えます。

 当時の信州としてはあまり目にすることのなかった横文字が並び、東京でもそんなに見られないほど外国人たちが集中したことから、異国情緒めずらしさに見物人が集まってきました。外国人の中でも、宣教師たちの生活は正しく質素でした。キャベツを買うにも家族にとって必要だけの量を買いますので、大きいのは一個を買わないで半分にして求めました。日本人としては「おまけ」をすることは当然のサービスでしたが、
「おまけをするならその分だけ値下げをするのが当然」
といって、店主に抗議することもあったといいます。

 日曜日には他の家を訪問しないという習慣についても日本人は慣れていきました。宣教師の中には、地元の人々に神の福音を説きながら、住民に良風と美俗を教えました。時間を守ること、うそを言わぬこと、簡素な生活、楽しみを自然とスポーツに求めることなど、それまでの宿場時代の生活習慣とは大きく変わった西洋風の生活信条を説きました。ある宣教師は、日曜日になりますと、
「今日は安息日ですから店を閉めて下さい」
といって町の商店を一軒一軒廻って歩いたといいます。

 住民の中にも、仕事を求めて外国人に接したり、教会に行くなどいわゆる「テンプラヤソ」とか「ニセヤソ」といわれる人々もいましたが、中には神の福音に接しキリスト教を信仰する人も出るなど、生活はかりでなく、精神的にも大きな変化をもたらしました。
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