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軽井沢の歴史-34

 明治26年(1892)日本人としてはじめての別荘が、海軍大佐八田裕二郎によって建てられました。八田は、東伏見宮の随行員としてイギリス・フランスに旅行し、22年に帰朝しましたが、健康を害していました。ヨーロッパのアルプスでの高原療養を見聞していた彼は、北海道、日光、箱根にと空気の清涼な土地を求めましたが、地形の広さ、湿度、交通上などの条件を満たしませんでした。

 火山灰に被われた標高1000メートル近い軽井沢の清涼で湿度の低い空気と、南に開かれた地形や乾燥の早い土地は、オゾンが多く彼の健康を増進させました。軽い草履にステッキという姿で、散歩をするのに適した草原が広がっていました。八田はモンブランにも勝る避暑地と思って、旧軽井沢の西南の端に別荘を建てましました。軽井沢で健康をとりもどした彼は、日本赤十字病院長の橋本綱常やドクトル・ベルツとともに、夏の転地療養に高原の軽井沢へ別荘を建てることをすすめました。外国人ばかりでなく末松謙澄・三井三郎助・樋上専次郎・江木褒・青山胤通・佐々木政吉らが明治三十一、2年頃別荘を建てることになりました。

 また、八田裕二郎は学習院の学生をつるや旅館(新軽井沢)に宿泊させ、健康の増進をはかるとともに、多くの外国人と接して修養の機会とさせました。これらの学生の中には、徳川慶久のように後に別荘を建てた人が多かったといわれ、日本の上流社会に別荘建築が行われる契機となっていきました。

 内・外国人の別荘は、軽井沢宿のまわりにつぎつぎに建てられ、明治三十九年(1906)には18戸増えて113戸となり、それ以後年々20戸ほどの別荘が増加(内日本人は2〜三戸)しましたので、軽井沢周辺は大きく変貌していきました。そこで軽井沢郵便局では、東・西・南・北に分けて別荘番号をつけて郵便物の配達が容易に正しく行われるようにしました。佐藤孝一著の「かるゐぎわ」によると明治末の別荘分布は

■東区
宿の東、中山道より南、諏訪道より東の山麓に開けた草野一帯で、展望の開けたところです。森裏、釜の沢、桜の沢、丸小山、今道沢に別荘があり、21年(1888)5月に建てられたショー氏の別荘は大塚山の頂上にあって、浅間山の眺めがすばらしかったといわれている(現在大塚山頂に建物はない)。また、泉源亭は31年、子爵末松謙鐙が建てた別荘で、川越石川に臨み、山中の清水の流れを邸内に引き入れている(現東海銀行寮)。桜の沢には35年に宿場の通りにあった万平ホテルが移転しました。二万坪の広大な敷地に洋室二二をもつ洋風建築でした。

■北区
碓氷旧道の北から、草津新道の東、宿の北部一帯をさし、一ノ宇山、愛宕山中腹と麓にあたります。当時は愛宕山には大きな木がなく眺望の良い別荘地でした。高瀬沢、愛宕道、吉ヶ沢に別荘が点在していました。とくに英国大使館別荘は、2手橋の東にあり、5万坪といわれる敷地にはモミの大木がしげり、自然を生かした深い森の中にありました。愛宕山の西南には三井家の別荘があり、庭の西隅に日本女子大学の夏期寮「3泉寮」が建てられていました。宿の東端にはつるや旅館があり、その裏には「水車小舎の3軒別荘」といわれた外国人による新築別荘が並んでいました。

■西区
草津新道の西、旧中山道の北の平坦地で、長尾の原、西山、深山から離山、さらに北
へのびて三笠と呼ばれる地域にあたります。青山胤通、江木衰、新渡戸稲造、2条公爵、川田能書、鹿島岩蔵などの日本人別荘が多く、ほかの3地区に比べると新しい地域といえます。北にはなれて、明治30人年(1905)に落成した木骨様式の三笠ホテルが人々の目をひいていました。また、離山の東山麓で雲場池近くにも4軒ほどの外人別荘があり、長尾の原一帯は広々とした草野原でした。

■南区
町の南部一帯の草野で東は矢ヶ崎より西の地域で、森前、上森、下森、森裏、押出橋の
別荘地をさします。平坦の広い原であるが別荘は宿に近い地域に建てられていました。日本人で初めて別荘を建てた旗裕二郎、佐々木政吉などの別荘がありました。

■離山
軽井沢の西離山の麓に雨宮邸、鉄道線路の南の林の中に桂太郎の別荘がありました。

■追分
追分宿の南に鉄道院の野村龍太郎、坪井清次郎の別荘がありました。

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