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軽井沢の歴史-12

 慶応3年(1867)10月14日、徳川慶喜が大政奉還し、王政復古したことにより、全地域が幕府領であった軽井沢の村々は支配者を失う結果となりました。

 当時の北佐久地方は、小諸・岩村田の2譜代大名領と水野春四郎・内藤箭之丞・久松栄之助の3旗本領、それに軽井沢地域のような幕府直轄地(御影陣屋支配)に区分されていました。明治政府は中央集権国家の確立をめざして、地方の政治組織を確立するためにつぎつぎと手を打ちました。

 御影陣屋支配の「天領」は、明治元年2月には名古屋藩取り締まり所の管轄に入り、軽井沢の村々は「御料」となりました。7月に伊那県が設置され、旧天領の村々はその所属に移りました。直接の支配は伊那県御影出張所が担当しましたから、旧天領の村々にとっては幕府直轄時代の陣屋支配と特別な違いはありませんでした。

 明治2年4月には岩村田藩が版籍の奉還を申し出て、6月に領主は岩村田藩知事となりました。同じ年12月、小諸藩もようやく版籍を奉還しました。郡内の寺院や神社も境内を除く朱印地・除地すべてを上知しました。これにより維新政府の中央集権化事業は、大きく前進しました。藩主が藩知事となり、藩に対する中央政府の統制力は強化され、領主は旧封笑納の10分の一を家禄とする地方行政官にすぎなくなりました。

 明治3年(1870)9月には、北信の中野町に中野県が設置されたため、伊那県に所属した軽井沢地域は、その支配下に移された(中野県庁は同年6月長野に移転して長野県庁となる)。中野県の管下に移りましたが、直接の行政は御影の中野県出張所の役人が行きました。4年7月には、中央集権的権力の成立に一時期を画した廃藩置県が断行されました。これにより藩と県の政治共存の県藩政治が廃され、全国では3府302県が成立しました。

 小諸・岩村田藩知事はともに、家禄と華族の身分を保障され東京へ移っていきました。佐久地方は、小諸県・岩村田県・長野県の3県支配が5ヵ月続きますが、4年11月には、小諸・岩村田の2県は長野県に合併され、佐久郡211村が長野県となりました。
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