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軽井沢の歴史-07

 大政奉還から明治政府の成立という、政治・経済・社会の大転換は、民衆に大きな動揺と新政府への期待感をいだかせました。年貢半減をかかげた響導隊が、佐久地方に受けいれられたのもそのためでした。しかし、響導隊の動きは偽官軍とされ、農民たちの新政府への期待が裏切られる中で、西牧騒動などの農民一揆が起こりました。軽井沢地域でも、偽官軍事件、西牧騒動などの舞台となりました。

 明治政府は、廃藩置県、地租改正など、相ついで中央集権国家を成立させるための施策をうちだしました。町村合併が推進され、行政制度も次第に整備されるようになりました。軽井沢でも町村合併の結果、長倉村が誕生しました。明治11年には、南北佐久郡が生まれ、戸長の公選制度が発達するなど、地方制度が確立していった、めまぐるしい政治・制度の変遷の中で、軽井沢の住民たちも、とまどいをみせながらもそれに対応していきました。

 この時期には、長野県では交通網の整備が急速にすすみました。とりわけ鉄道敷設の願いは切実でした。中山道鉄道の建設は、軽井沢地域にとっても大きな影響をもつものでした。この予備調査も軽井沢などでも行われましたが、東海道線が採用され、主要幹線としての中山道鉄道は実現しませんでした。しかし、直江津線(のちの信越本線)の工事がはじまり、軽井沢地域にも鉄道が開通することになりました。鉄道とともに、電信・郵便網も整備されるようになり、軽井沢地域の住民の生活も大きく変化していきました。学制も公布され、軽井沢にも発仁学校・又新学校などが開校されました

 軽井沢にとって、この時期の大きな出来事は、英国人ミルンの浅間山登山で、浅間山や軽井沢が、外国人たちの熱い視線を受けるきっかけとなりました。
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