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軽井沢の歴史-06

 高原野菜をはじめとする農耕文化から芸術文化や教育文化に至るまで、外国人や文化人避暑客から伝播した文化が卓越していることが、軽井沢の特色です。わが国の高冷地における高原野菜の栽培は、軽井沢高原で始められました。

 ここでは、明治18年(1885)雨宮敬次郎が拓いた雨宮新田で初めてキャベツが栽培されたといわれています。さらに明治26年(1893)、避暑に来ていた外国人の注文によって、常時キャベツを栽培するようになりました。

 当時キャベツは農民の間では玉菜、また官庁においては甘藍と呼ばれていましたが、新しい商品作物のため珍重され、軽井沢の西洋料理屋ではロールキャベツなどにして提供されていました。生産されたキャベツは、東長倉村沓掛(現中軽井沢)における「玉葉屋」と呼ばれた青果仲買商の手で、地元の各市場に出荷されていました。

 さらに第一次大戦後から信越本線を利用して、東京へ貨車単位で出荷されるようになり、一部は名古屋・大阪まで送られました。大正末期になりますと、キャベツは軽井沢に隣接した小沼・伍賀両村(現御代田町)でも栽培されるようになり、その作付面積は120町歩(120ヘクタール)におよびました。昭和恐慌期まで軽井沢の甘藍は、夏から秋にかけての東京市場で独占的位置をしめていました。

 昭和10年から軽井沢町産業組合では、スウィートコーンを栽培し、これを缶詰に加工して、内外の避暑客に販売して好評を得ています。また高原に自生するクロマメの木の実(アサマベリー)を採果してジャムに製造しましたが、これは現在でも軽井沢の特産物になっています。さらに民芸品の軽井沢彫も、避暑客相手の地場産業でした。

 美しい軽井沢高原を措いた文学者や詩人の作品が実に多いです。古くは『万葉集』の東歌から、堀辰雄や川端康成らを経て今日まで、高原の至るところが、小説や詩の舞台となっています。軽井沢は古くから歴史の槍舞台に登場しており、また近代に入ってからは多くの文化人が避暑客として訪れたことも、ここで生まれた文学作品をより豊かなものにしています。また、軽井沢高原では、テニス・ゴルフ・ハイキング・サイクリング・スキー・スケート・馬術などのスポーツ施設がよく整備されています。これらのスポーツを楽しむには快適な軽井沢高原は、スポーツ文化の面でも水準の高い地域であるといえましょう。

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