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軽井沢の歴史-05

 軽井沢における観光を中心とする地域開発は、当初から外部資本によって進められました。当地は古代からの交通の要衝であり、外部から入ってくる文化や物流、異邦人をあまり抵抗なく受け入れる伝統がありました。

 避暑という生活様式は、本来日本にありませんでしたが、外国人と日本の上流階級によって軽井沢に持ちこまれました。明治32年(1899)まで、外国人の土地所有は公式に認められず、また「外国人の内地雑居」は許可されていなかったにもかかわらず、日本人の名義で土地を収得し、軽井沢に居住していました。

 この事実は明治期の軽井沢の人たちが、かなり開明的であったことを示しています。

 避暑地としての開発は、明治27年(1894)佐藤万平による万平ホテルの開業です。さらに外部資本による開発は、鹿島組の鹿島岩蔵が、明治32年貸別荘六戸を建設したことに始まります。

 その本格的な開発は、大正7年(1918)堤康次郎が、沓掛区有地であった千ヵ滝を買収して、翌8年箱根土地株式会社軽井沢出張所を設け、別荘地や建て売り別荘を売り出したことに始まりました。また野沢源次郎の野沢組も、同様な事業を開始しました。第一次大戦後の好景気もあって、いわゆる「五百門別荘」が大量に建てられ、旧軽井沢のみでなく、千ヵ滝・南原地籍まで別荘地化が進んでいきました。

 さらに大正12年の関東大震災で、湘南地方の別荘の多くが破壊されました。これを契機に別荘を軽井沢に新築する人もあって、大正末期には別荘数650戸、避暑客7、500人、うち外国人が一、500人にのぼりました。

 現在、軽井沢には国土計画、国土開発、東急不動産、日本興業などをはじめ、30をこえる不動産会社があり、土地の分譲を行っています。この中でも国土計画を中心とする西武資本は、ホテル、ゴルフ場、スケートセンター、スキー場、デパート、馬術競技場、美術館、鬼押出し園、有料道路、定期バス、別荘地の分譲事業、建設業などを手広く経営しています。軽井沢の開発は、西武など外部資本を抜きには語れないほど、その影響力は大きいです。

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