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軽井沢の歴史-03

 軽井沢の自然は欧米諸国によく似ています。アメリカ人はミシガン州、フランス人はポージュ山脈、またドイツ人はシュヴアルツヴアルトやバイエルンあたりの風景を連想するといいます。これは地形が欧米諸国に似ているばかりでなく、豊かな植生におおわれた美しい自然が存在しているからです。軽井沢では「緑蔭」という言葉がよく用いられますが、厚い森林に取り囲まれていることが、気温を低めて、生活をより快適なものにしています。

 軽井沢の植生には、カラマツ・モミ・ミズナラ・栗などがあります。

 軽井沢のカラマツは、北原白秋の

「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き……」

という「落葉松の詩」で有名です。しかし、この高原には天然生のカラマツ、いわゆる天落葉はあまり見られません。明治初期、追分原をはじめとする軽井沢の高原は農用林野として用いられていたため、毎春野火がつけられ、野草地になっていました。

 明治16年(1883)甲州財閥の雨宮敬次郎が、官有地500町歩、民有地600町歩を買い入れて、700万本におよぶカラマツを植林しました。北原白秋の詩が「明星」に発表されたのは大正10年(1921)ですから、彼が見たカラマツ林は、40年生近くに成長した人工林であったに違いありません。なお、カラマツは大正・昭和期を通じて大量に植栽されました。浅間山の寄生火山である離山は、第2次大戦後まで採草地として利用されていましたが、戦後一面にカラマツが植えられました。

 それから軽井沢の別荘地の生け垣や街路樹として目立つものにモミがあります。クリスマス樹に用いられるモミは、異国的な風景をつくり出すに役立っています。またシナノキやコブシなどの天然木は、軽井沢の自然をより多彩なものにしています。

 現在、軽井沢における豊かな緑は、多分に人為的なものです。とくに古い旧軽井沢周辺の別荘地は建蔽率が低く、建物は広い樹林の中に見え隠れしています。広い庭園の場合、土地台帳を見ると大部分が山林として登記されていますが、それはよく管理された人工林になっています。その林床は絨毯を敷きつめたような苔類におおわれています。このコケ類は、落葉する晩秋になると熊手でかいて取り除いてやりませんと、腐ってしまいますので、その管理が大変です。

 緑地に恵まれた軽井沢は動物や野鳥の楽園にもなっています。リスのような野生動物が木の実を拾いに別荘地にやってきます。またキジやブッポウソウなどの野鳥は、禁猟になっていることもあって、一年中姿を見せてくれます。

 しかし、軽井沢に多いゴルフ場は、見た目は美しいですが、自然保護や生態系の面からは問題があります。ゴルフ場の多くは芝生でおおわれていますが、その根毛密度が高く、そのうえ地下一メートルまでも繁茂するため、降った雨は地下水として浸透せずに、地表水となって一気に斜面を流出します。その結果、軽井沢においては50ミリ程度の集中降雨がありますと、いわゆる「ゴルフ場水害」が発生するといいます。そこでこの種の水害防止のため、既存のゴルフ場においても別荘地の建蔽率同様の土地利用の規制が望まれています。
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